いつから「はくばのりくら」?
- この会議室に新しいトピックを立てることはできません
- この会議室ではゲスト投稿が禁止されています
投稿ツリー
-
いつから「はくばのりくら」? (たばりん, 2019/8/13 14:46)
-
Re: いつから「はくばのりくら」? (N-EXP, 2019/8/19 21:12)
-
Re: いつから「はくばのりくら」? (たばりん, 2019/8/22 21:20)
-
日本沈没、下巻、第6章 (N-EXP, 2019/8/25 15:11)
-
Re: 日本沈没、下巻、第6章 (niceshotpt, 2019/8/27 23:32)
-
Re: 日本沈没、下巻、第6章 (たばりん, 2019/8/28 21:33)
-
Re: 日本沈没、下巻、第6章 (たばりん, 2019/8/28 21:40)
-
Re: 日本沈没、下巻、第6章 (niceshotpt, 2019/8/28 22:07)
-
Re: 日本沈没、下巻、第6章 (N-EXP, 2019/8/30 6:44)
-
Re: 日本沈没、下巻、第6章 (N-EXP, 2019/8/30 7:10)
-
Re: 日本沈没、下巻、第6章 (たばりん, 2019/8/31 21:28)
-
Re: 日本沈没、下巻、第6章 (niceshotpt, 2019/9/1 20:57)
-
Re: 日本沈没、下巻、第6章 (たばりん, 2019/9/2 8:54)
-
Re: 日本沈没、下巻、第6章 (niceshotpt, 2019/9/2 23:00)

5日に八方池まで花見に行ってきました。
雲が湧いていましたが、五龍岳方面のピークが雲から見え、白馬三山もときどき一部が見えるような状態でした。
ツアー登山のグループが多く、登山道(自然研究路)が渋滞するほどでした。このグループの先頭を行くガイドが前方に見える山の名前を質問されて「はくばだけ」と答えていたのが聞こえました。さらに聞き耳を立てていると「はくばのりくら」と聞こえてきました。山岳ガイドが山名を言うなら「しろうまだけ」「しろうまのりくらだけ」と言ってほしかったですね。元は「代掻き馬」の雪形が現れるというのが「しろうまだけ」の由来なのですから。
写真は「八方池と白馬鑓ヶ岳付近」、「ハッポウタカネセンブリ」、「ユキワリソウ」(八方池の雪田にて)です。

たばりんさんの話と関係ありませんが、(白馬)乗鞍岳と言うと故小松左京氏の「日本沈没」を思い出します。
日本アルプスが沈没で消えてしまうのを悲観した山好きの一団が、地震や噴火の危険を冒してこの付近の山に入って身動きが取れなくなり、主人公の小野寺が救助にあたるという部分(下巻の後半)です。途中で乗鞍岳に噴火の警報が発せられるのですが「乗鞍岳ならずっと南じゃないか?」と言う小野寺に、登山者の一人が「このすぐ近くにも乗鞍岳があります!」と言ってアッとさせられます。結局原作ではこの後に全員がどうなったのかよく分かりませんが、実際の地図に確かに乗鞍岳が二つあるのを見つけて、なるほどと思った記憶があります。いつか登ってみたいと思っていながら、半世紀近く経ってしまいましたが、たばりんさんの写真を見て、改めて小説の現場を見てみたいなあと思い出しました。

こんにちは
「日本沈没」ですか。映画をテレビで放送していたのを見た記憶はありますが、小説は読んだ記憶がありません。乗鞍岳が2つ出てくるとは作者も知っていてそういう設定にしたのかと思います。

こんにちは。
久しぶりにボロボロの「日本沈没」を引っ張り出して、その部分を読み返してみましたが、今読んでもほとんど色あせた感じがしないのがスゴイですね。小松氏は地球物理学のみならず、深海潜水艇や政治の舞台裏、飛行機や宇宙船とありとあらゆることに造詣が深く、そうした知識が全編にちりばめられているのに驚きますが、この部分を読む限り登山にもある程度の経験があったのではないかと思われます。
唯一違和感があるとしたら、無断で山に入ったグループが「学生や、若いサラリーマン、OLなど」と表現されている事で、当時は「登山=若者の趣味」だったと言う事でしょうか?

ご無沙汰してます。新潟市のniceshotpeteです。
なぜかログインできなくなり、niceshotptで新規登録しました。(笑ってやってください)
お盆休みに白馬大池でテント泊しました。乗鞍岳は時間の関係で登れませんでしたが、日本沈没の、この下りを思い描きながら歩いてました。
13日は朝から快晴で山の展望を満喫してきました。
よろしかったら、拙宅にもお立ち寄りください。
https://blog.goo.ne.jp/niceshotpete/e/e04b265222f475163ab2848aeba9bc90

あの頃は登山人口のうち若者が大半だったのではないでしょうか。おそらく大きなキスリングを背負い、ニッカボッカを履いて日焼け止めも塗らず(存在しない)、真っ黒に日焼けしながら闊歩していたのだと思います。
「キスリング」や「ニッカボッカ」を知っている人はそれなりの歳ですね。今の若者には分からないでしょう。
沈没しなかったから今も山に登れるし、こんな書き込みができるのは喜ばしいことです。

こんにちは
この白馬大池の写真は小蓮華岳側へ登ったところからの眺めですか。そうだとすると右奥の雲に隠れるあたりが白馬乗鞍岳ですね。
眺め良さそうな感じが伝わってきます。

こんばんは。
その通りです。通称・雷鳥坂を下ってくる途中です。ちょうど、雲の先端辺りが最高地点ですが、しろうまのりくらだけの三角点は右奥になりますね。

niceshotptさん、おはようございます。
写真ありがとうございます。HPの方も拝見しました。雲が多いのに水平方向の視界はよく、結構遠くの山が見えているのには驚きですね。モノクロ写真がいい雰囲気を出していると思います。
それにしてもウッカリしていましたが、白馬岳のすぐ近くまでが新潟県なんですね。さすが新潟県は広い!

たばりんさん、おはようございます。
昨日、太川陽介の路線バスの旅をテレビで見ていたら、北海道興部町の道の駅で、廃車になったJR北海道の車両がフリースペースとして開放されているのが紹介されていました。自転車やバイク、徒歩で一周など、いろいろな人が利用しているようでしたが、テレビに映った範囲ではほとんどがオッサン連中ばっかり。良くも悪くも時代が変わったなあと思いますね。

n-exp さん こんにちは
興部町はオホーツク海側の街ですね。どの程度のオッサンかわかりませんが、「キスリング」世代なのかもしれません。40年程度前は夏の北海道と言えばそんな若者がいっぱいだったと思います。
たしか「かに族」とか言っていたような記憶があります。「Milk Land HOKKAIDO」と書いたキタキツネがデザインされたおみやげ袋をもっているのはちょっとミーハーな女の子、汚いシャツで青函連絡船に乗り込むのが「かに族」、東北本線の急行に1日揺られて東京に帰ってくるといった感じだったと思います。

こんばんは。
白馬岳は越後百山なんです。ご存知でしたか?
代馬岳と呼称されるはるか以前から越後では大蓮華山と呼んで、越後の山として考えていたんだそうです。現在の新潟県人の中で、白馬岳が新潟の山だと思っている人がどの程度いるか、はなはだ疑問ではありますが。
藤島玄が、心情的に白馬岳は新潟の山、と書いてしまったので、越後百山の選定者が、御意!と越後百山に入れてしまったとしか思えません。
越後百山は日本山岳会越後支部が選者です。選者の年齢、登山歴など、まったく知りません。
三国境までが新潟県です。県境が山頂にあるのなら、新潟の山でもいいんですがねぇ。納得できないんです。
たばりんさん、主題から離れてしまって失礼しました。

niceshotpt さん こんにちは
「大蓮華山」なら越後側から見てその手前に「小蓮華山」というのもわかりますね。カシミールで調べると糸魚川市の海岸からでは小蓮華山は見えるものの白馬岳は隠れてしまいますが、上越市の直江津港からは白馬岳が見えます。
直江津の漁師さんは遠くに見えるこの白い山を目標にしたかもしれません。そして越後の山として親しみを持っていたとしたら長い間にそれが伝えられ、 越後百山の選定者も新潟県の山として選んだと考えられます。
白馬岳の北から頂上宿舎のあたりまで境界未定地域なんですね。といっても長野県と富山県です。
